1
世の中の 虐げられし 人は皆 我が仲間なり 我の友なり
2
ウイルスに 虐げられし 人よ今 皆繋がりて 今日を生き抜け
3
今は皆 虐げられた人なれば 誰でも友よ 誰も憎まじ
4
我が病 苦しき時も 巣に籠もり 飛び立てる日まで じっと耐えてた
5
王冠と 日輪と言ふ 君の名は だのにどうして 皆を苦しむ
「コロナ」の意味は、「王冠」とか「太陽」だそうです。そんなに素敵な名を持っているのに、どうしてコロナウイルスは皆を苦しめるのでしょうか?
「健常者」は往々にして「障害者」より優れていると、言われ勝ちです。しかし、悲しい事に、障害者よりも強い筈の健常者が、時には無理解から障害者を虐げてしまうのも事実です。
不条理に対する心の叫びです。
しかし、僕は、対人恐怖症に罹っても、まだ人を愛する事を止めたく有りません。
同じ命を持つもの同士の可能性を、信じてみたいのです。
私は「障害者」ではありません。でもそれはあくまでも、医学的にそう診断されていないというだけです。
様々な精神病のなかには、現代病、現代病症候群のように、「健常者」と目され、ふつうに社会活動している人間でも罹っていてもおかしくはない病がいくつもあるようです。
現代、人間は老若男女問わず、あまりにも自然の営みから切り離された生活を余儀なくされております。
幼子が母に守られ、子供たちが朝から晩まで野山を駆け回り、若者たちは学びだけでなく青春を謳歌する、そんな時代はとうの昔のお伽噺となってしまいました。
母親は子供の面倒を見るどころか、社会活動や仕事に追われ、子供たちははやくから受験戦争の支度を始め、昼夜問わず机にかじりつき、そこからあぶれた者たちは悪の烙印を押され、誰もがレールから外れないように心を頑なにしながら生きています。そしてそれは社会に出れば、さらに苛烈となり人々の心を苦しめます。
さて現代人のなかで、真の意味でまともで健全な精神のまま、健やかに生涯を過ごせる者はどれだけいるのでしょうか。
すみません。つい熱くなって長々と語ってしまいました。
虐げる者も虐げられる者も、きっと両者ともが苦しんでいる。そう思うのです。これはあくまで私の個人的見解に過ぎません。
そしておそらく、「健常者」としての扱いしか受けてこなかった私に、下山さんの気持ちのすべては理解できないし、下山さんも私の気持ちのすべてを理解することはできないと思われます。
それなのに、こうして、ここにいっしょに居ることに何か不思議な気持ちになりませんか?
すみません、客観的な感想がまったく思いつかずに、私の腹の中の気持ちを吐き出してしまいました。どうかお許しください。
でもそれだけ、下山さんの言葉が私の心へ深く刺さり、そして受け流すことをさせてくれなかったのだと、私はそう思いました。
コロナ以後の世界、そうですね、私も危惧しています。